かつては消費者の心に存分に届いた、広告という名の「ラブレター」。
広告会社で「コミュニケーション・デザイン」を担当する著者は、そのラブレターが効かなくなったと言う。
- ラブレターが相手の手に届きにくくなった。
- 他に楽しいことが山とあり、相手はラブレター自体に興味をなくしている。
- ラブレターを読んでくれたとしても、口説き文句を信じてくれなくなった。
- しかもラブレターを友達と子細に検討し、友達に判断を任せたりする。
広告を生業とする人々にとり「のどかな時代は終わった」というのである。
佐藤尚之著『明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法』は、近年の広告を取り巻く環境激変の中心に、「消費者が変わった」ことを見据えることから始める。
ネットの出現+情報洪水+成熟市場。
この三連発は消費者を根本的に変えた。広告をスルーするわ、どの商品もそんなに違わないと高を括るわ、商品を使ってみた評価をネットで教え合うわ、一時代前の従順な消費者の面影はまったくない。「疑い深い消費者」の登場である。ポジティブに言い換えれば「賢い消費者」の登場だ。
さて、ではどうすべきなのか。
だれであろうとも、「賢い消費者」と向き合わずにビジネスをなし遂げることはできない。そのような地殻変動期にあるのだ。
すでに90年代よりネットメディアに手を染めてきた著者は、重要な指摘をする。
商品のイイトコロを取り上げてアピールする「広告」は、商品の真の姿を映し出してしまうネットとはもともとまったく相容れないのだ。つまり、ネット広告は従来のマス広告とは生まれも育ちも性格も目的も別物。
ここから、著者はネット時代のコミュニケーション・デザインの真髄を、事例とともに詳細にわたり展開していく。展開は広告に興味ない者にとっても、不思議に説得的。
それは、最新のネット広告活用というように、“乗り物”の乗り換えに向かうのではなく、コミュニケーション・デザインに際して「相手の趣味や行動を調べ、よくよく観察し、相手の身になってみる」という常識へと遡行していくことに由来するのかもしれない。
「ネット出現後のブランドとは『消費者の中に長く維持される愛』のことを呼ぶ」「消費者が一番信頼するメディアは消費者自身」……。
卓越した知見の数々から伝わってくるのは、著者の、消費者に向かうコミュニケーション意欲の強さにほかならない。ほとんどそれは「(消費者への)愛の強さ」とさえ言い得そうである。
本書が時流(トレンド)を語りながらも、揺るぎない信頼を喚起する魅力の源泉がそこにある。
※ 本稿は、 ITmedia エグゼクティブ「みんなのミニ書評」コミュニティーに投稿したものに加筆し、再投稿したもの。
アンドリュー・S. グローブ『インテル戦略転換』は、かつて日本半導体製造メーカーの包囲網下で苦しむインテル社が、CPUを本業とする現在の地位へと戦略転換を遂げた経緯を中心に、ハイテク企業が直面する経営課題を題材に経営を論じたものである。
原著作は1996年刊行。日本語訳は同97年刊行。
著者はその渦中にあった同社元CEOである。
原題「Only the Paranoid Survive」(パラノイアだけが生き延びる)は、本書刊行当時の流行語でもあった。
当時、同社はPC向けCPUメーカーとして不抜の地位を築いたものの、主力CPU「ペンティアム」のバグ問題の傷跡は生々しく、IT業界に身を置く者ならば誰でもが知る題材を多く扱った本書は、単なる回顧録と異なり虚飾を排して切実なものだ。
ところで、「ビジネス書」とはビジネスに役立つ書物を指すのだとするならば、本書はどう呼べばよいだろうか。経営に役立つことをもって「経営書」と呼ぶべきだろうか。
本書を言い表すには、それだけでは少し足りない。
本書は、ハイテク企業のアポリアを鋭く説くという点で、もちろん希少なビジネス書である。同時に、戦略転換点に踏み込んだ企業にあって真のリーダーが果たすべき役割を多く論じる。この点において、特筆に値すべき経営の書でもあると言える。
さて、「戦略転換点」とは何か。本書から引いてみることとする。
……戦略転換点とは、さまざまな力のバランスが変化し、これまでの構造、これまでの経営手法、これまでの競争の方法が、新たなものへと移行してゆく点なのである。戦略転換点を迎えるまでの産業は旧来どおりに見えるのだが、いったん転換点を通過すると新しい形に変貌する。戦略転換点では、曲線は微妙にだが根本から変化し、決して元に戻ることはない。
いつ戦略転換点が来るのかを正確に示すことは難しい。後から振り返ってみたとしても、やはり難しいのだ。友人とハイキングに出かけ、道に迷ったと想像して欲しい。最初に、グループの中で気弱な人がリーダーにこう尋ねる。「道はわかっているのですか。道に迷ったのではないですか」。リーダーはそんな人を相手にもせずに歩き続ける。ところが、道標や見慣れた目印もなく、次第に膨らむ不安感から、ある時点でリーダーはしぶしぶ立ち止まり、頭を掻きながら「おい、みんな。どうやら道に迷っているみたいだ」と認める。これが、ビジネスでいう戦略転換点なのである。
著者は、この戦略転換点というゾーンにさしかかった企業集団の不安な心理を見事に活写している。
私は、あなたや会社全体が苦しみ抜き、さもなければ滅びてしまうようなこの敵地を、死の谷と呼んでいる。戦略転換点には必ず存在し、避けて通ることも、危険を減らすこともできないところだ。できるのは、うまく対応することだけだ。
死の谷をうまく越えるためには、まず、谷の向こう側に無事たどり着いたとき、どんな企業でありたいのかをイメージすることが必要だ。あなたが自分の頭の中ではっきり描くだけではなく、疲れ果てて気力を失くし、動揺している部下たちにも伝えられるように、明確なことばで語ることができるものでなければならない。……
戦略転換点とは、このように、企業にとり既知の状況から未知のそれへ突入することを意味する。
人は、そして、企業は、突然未知の世界へと直面した際には、パニックに陥るか、もしくはパニックに陥らずとも保守的な行動に走るメカニズムを有する。
著者はこのようなメカニズムを熟知しながら、最初は企業集団に生じるカオスに身を任せること(=ボトムアップ)を説き、次に、ひとたびカオスを脱する方向を見定めては決然とリーダーシップを発揮すること(=トップダウン)のプリンシプルを説く。
振り返って、本書に初めて出会った折りに評者に重要だったのは、ハイテク企業は戦略転換点というべきポイントを必ず迎えるということだった。
ところが、改めて本書を通読してみれば、過去に新鮮であったこれら不可避な戦略転換点の現象記述はすでに退色しており、他方、危機を迎えたリーダーの経験を論述した箇所は際立って訴えかけてくるという変化に気づかされた。
ビジネス書から経営書へ。
本書は、再読、三読に耐えながらなお成長を遂げる書物である。これもまた本書が「経営の書」であることを証していると思えてならない。
※ 本稿は、 ITmedia エグゼクティブ「みんなのミニ書評」コミュニティーに投稿したものに加筆し、再投稿したもの。
SNSが個々に持つ、登録ユーザーのプロフィール情報。また、ユーザー自身が明示的に登録せずとも、SNS内のコミュニティやサービスをどのように活用しているかなどの履歴情報。
このような、SNSとユーザーの関係について肝となる情報を、業界内で標準化してAPIを通じて利用できる仕組みづくりが進んでいる。大ざっぱに言えば、これがOpenSocialの流れということになる。
オルタナティブブロガ大迫正治氏のREPEDANT BLOGはこの分野の可能性について示唆があり、興味深い。
大迫氏の整理に拠れば、たとえばOpenSocial APIを通じてある使える情報には、下記のようなものがあるという。
OpenSocialについて少し概要を確認すると、現段階(v0.7)でのOpenSocial APIは、ユーザーが持つ
- プロフィール(自分自身)
- ソーシャル・グラフ(友人ネットワーク)
- アクティビティ・ログ(サイト内での行動履歴)
に関する情報にアクセスすることを可能にする(今後もっと増える)。
あるSNSユーザーのパーミッション(同意)が得られたアプリケーションは、そのユーザーページに、その仲間に向けたEC機能を提供できるだろう。
また、プロフィールに含まれた業務経歴に向けた的確なキャリア関連サービスも提供できそうだ。
実のところ、OpenSocialの取り組みは最大成長SNSであるFacebookの独自API開放路線に対して、その他SNSの対抗活動という側面がある。Facebookは開放戦略に先鞭を付けることで大量のユーザー向け3rdパーティアプリケーションを獲得できた。これがFacebook急成長の大きな要因となった。
したがって、OpenSocialが勢いを得るのかどうかは、政治的な動きである側面も加味して見守らなければならないのだが、それにしてもだ。
ひょっとするとFacebookが先鞭を付けたAPI開放戦略が、結果として対抗勢力にさらにオープンであるAPI策定のリアクションを引き起こしているとすると、面白い現象だ。
上に述べたように、開放される3大要素を的確に使ったパーソナルアプリケーションやサービスをSNSユーザーに対して提供することは、当面の間、Webビジネスの大きな市場とイノベーションのタネとなることは間違いない。
もちろん、日本ではMy SpaceもFacebookも存在感は薄い。やはりOpenSocialに手を挙げたmixiがライバルのいない間に、自ら開放路線に転じることができるのかどうか。これは、今後のWebビジネスを考える者として無視できないポイントなのだ。
辻俊彦『愚直に積め! キャピタリストが語る経営の王道・99』は、ベンチャー・キャピタリストとして、数多くのベンチャー投資を手がけてきた(まさに「ハンズオン」)著者が見た、(ベンチャー)経営(者)論である。
「経営(者)論」と述べたが、本書にはベンチャー企業の生態系をめぐって、実践に裏打ちされた99箇条にも及ぶ箴言に満ちている。
経営基盤ままならぬ誕生後間もないミニ企業の生きる道とは。事業初期だからこそすべきこととは(、すべきでないこと)、また、その経営者はいかに振る舞うべきか。さらには、そこに投資する者が、これまたすべきこと(、すべきでないこと)など。それらは多様で旺盛な批考察の集積である。
これら透徹した考察を通じて、成功するベンチャー事業と経営者とそうでないものの差異が浮き彫りとなっていく図は本書の圧巻と言える。
ところで、ここで急いで注釈をひとつ、差し挟んでおかねばならない。
書評者自身が、著者によるハンズオン投資を受けた経験を有する者であり、本書で俎上にのぼったであろう“ベンチャー経営者”のひとりであること。
それだけに、著者が繰り出す箴言の数々がどれも耳に痛く、そして胸に刺さってくる。
たとえば、どんな点が痛烈に刺さってきたのか。いくつか抜き出してみよう。
年商5億円の会社の社長は、大企業でいえば課長にもなれない。しかし、いったん社長の立場になると、大企業の社長然とする人が跡を絶たない。
週100時間以上働くことが万人に共通の起業における成功法則だろう。
環境が変わった場合、その環境変化に気づかずに無意識の行動を繰り返してしまうと、成長は得られない。成功体験が弊害となる「成功の罠」である。
成長してきたのが、社員の功績であることを忘れ、必要以上に現場に介入し、社員の離反を招くのは、当然の帰結である。思い上がった経営者ほど、そのことに気づかない。
黒字化が安定して、社外への説明の機会が増えると、内向きの意識が勢いを増し、価値の根源(=社外にいる顧客に由来すること)とは逆方向にだけ目が向くことになる。
私は起業家に必要な資質は、「継続性のある卓越した実行力」と見ている。
ベンチャー企業でも、赤字企業の経営者が高給を取っている現実が存在する。……役員報酬は、経営者の責任意識の鍵となる。
評者のように程度の低い“経営者”にとっては、いずれもがいちいち胸に突き刺さる。
また同時に、豊かな実践に裏打ちされた著者の視線が、いかに的を射抜いているか実感とともに証言できる気がする。
さまざまな制約を抱えたスタートアップ企業。期待されるがために悩みも深いベンチャー企業の経営にとり、なにが成功に至る普遍的な要因となるのだろうか。
同書の中で繰り返されるいくつかのポイントがある。
- 目標を定める。目標達成に向けて Plan Do Check を積み上げる
- 顧客の声に、ステークホルダーの声に耳を傾ける
- 「情」(こころ)と「理」(あたま)を尽くす
そして、
- 愚直なまでに(凡庸に)徹底する
最後の項目は、書名にまで昇華され著者が熱く説くところだ。
仮説を打ち立て、愚直に(徹底的に)実行する。
このサイクルを積み上げることに、ベンチャー企業の生き抜くべき道が示唆される。
多くを寡黙に耐え、いったん声を発する際には、鋭い論理と視点で他を圧する。生身の著者の姿が、本書を読む中、改めて浮かび上がってくる。
よく切れる鋭利な刃物を擁しながらも、熱い「情」を湛えて投資先を見守る。そのような独自のキャピタリストの姿がそこにある。
※ 本稿は、 ITmedia エグゼクティブ「みんなのミニ書評」コミュニティーに投稿したものに加筆し、再投稿したもの。
北添裕己『SEからコンサルタントになる方法』は、IT技術職のひとつであるSE(システムエンジニア)職が、そのITスキルを活かしコンサルタント職となるための理路を整理した書である。
とは言いながら、おおむね当事者自身とその利用者(顧客)にとりイメージをしやすいSE職とは異なり、コンサルタント職の実態やその役割範囲は理解されにくい面が多い(かく言う書評者もその一人だったが)のが通り相場。
著者は、「IT系コンサルタント」を中心としたその真髄を、200ページに満たない本書で的確にまとめ上げている。
さて改めて、コンサルタントとは何者なのか。
また、SEとコンサルタントはどう違うのか。
著者はこの問いについて明瞭に答える。
コンサルタントの仕事は「クライアントの問題を解決する」ことが目的です。問題を解決するためにあらゆる手段を考え実行しますので、仕事のスキルは多岐にわたります。
それに対してSEの仕事は…(中略)…「システムを構築する」ことです。いかにシステムの質を上げ、納期どおりにシステムを構築するかということが求められます。そのため、仕事のスキルはシステム構築にかかわるものになり、システム構築に関係のないことは仕事の範疇外となります。
対比をわかりやすく、と著者は「コンサルタントは問題解決で報酬をもらうので、別にシステムを構築しなくても、問題解決さえできればいいのです」とさえ言い切るのだ。
今日、企業が事業の順調な成長(もしくは戦略的な事業拡張)を企図する際、ITシステムに手を触れずにすますケースはないといっても過言でない。
確かに、企業が、その戦略視点を整理、業務フロー見直し、そして、それを支えるITシステムの構築(もしくは改修)へ……という流れにあって、SEとITコンサルタントは共通の課題に立ち向かうことになる。
が、同じ課題と向かい合いながら、振る舞う原理が大いに異なることがわかってくる。
基本的に、与えられた目標を期日までに遂行することを最大価値とするSE。
対して、前提に含まれていない周辺情報や知識をも駆使し、顧客が抱える課題に全方位で挑むコンサルタント。
後者は、一人で顧客との関係を築き、一触即発の“問題プロジェクト”にPM(プロジェクト・マネージャ)やPMO(プロジェクト・マネジメント・オフィス)の支援要員として乗り込むことがある……。
さて、冷静で過不足ない筆致によって、読者はコンサルタントの信条から始まり、必須の重要能力であるプロジェクトマネジメント力、そして自らが営業し顧客の課題に触れ、そして依頼を得る提案力と営業力までを概観することになる。
期せずして「コンサルタント職の仕事術」の一端にまで触れることができる本書は、コンサルタント職を意識するSE職にはむろんのこと、コンサルタント初心者、そしてコンサルティングを依頼することになるかもしれないビジネスパーソンにとり、良き啓蒙書である要件を満たしている。
穏やかで明晰な文体に時折厳しさを交える著者の文体の背景に、コンサルティング職が置かれた世界の起伏を想像することができる。
※ 本稿は、 ITmedia エグゼクティブ「みんなのミニ書評」コミュニティーに投稿したものに加筆し、再投稿したもの。
読者とメディアの“エンゲージメント”をどのように評価すべきか。
言い換えれば、どのメディアが読者の行動に対して大きな影響力を有すると評価すべきか。
オンライン・メディアが最初の成熟期を迎えつつあるここ数年、米国を中心に広告業界はこの指標づくりで揺れている。
印刷部数の公査や、あるいは読者リサーチによる結果以外にエンゲージメントに結びつく指標を持ちにくいプリント・メディアは苦戦を強いられてきている実情がある。
ただ、同時に読者との結びつき、紐帯という視点では、オンライン・メディアよりプリント・メディアが強いといった定性的な見解も横行している。
ITmedia Newsの「MS、オンライン広告効果測定の新手法『Engagement Mapping』」は、この指標化に一定の見解を示したものだ。
アドバタイザー&パブリッシャーソリューション(APS)事業部担当副社長ブライアン・マックアンドリューズ氏は「購入に結びついた最後の1ク リックだけを測定する手法は時代遅れだし不十分だ。Engagement Mappingでは、特定の広告主によるすべての広告(複数のサイトに表示したディスプレイ広告やビデオ内広告など)が、購入決定にどう影響したかが分か る」と語った。
たとえば、私たちが運営するようなオンライン・メディアで、ある商品の発表記事や当該商品の掘り下げたレビュー記事を掲載したとしよう。
ところが、読者が当該商品を購買する直接的な行動は、ある特定のECサイトや価格比較サイトで現れる可能性が高い。さらに言えば、オンライン・メディアの記事に触発されて、直接有楽町駅前の「ビックカメラ有楽町店」に出向いているかもしれないのだ。
このように例示すれば、「最後の1クリック」のみをマーケティング活動上重要視することは誤っている可能性が高いことが理解できる。
問題は、“指標化”と言うからには、プリント・メディア対オンライン・メディア、また、各種Webサイトの複数ドメインをまたぐケースなど、多様な消費者の行動軌跡の追尾を技術的に担保できなければならない。
残念ながらオンラインとオフラインにわたる消費者行動を客観化する手法は未整備だ。これは適正なサンプルに対する聞き取り調査などを積み重ねる必要があるだろう。一方、複数ドメインをまたぐ行動については、昨今話題の“行動ターゲティング”や“リターゲティング”などにより、一定の解が示されつつある。
そして最後の問題だ。複数のメディアを含んだ行動追尾ができるとしたとして、そのどれが心理的に消費者の購買行動に最も大きな影響を与えたのか。客観的な指標づくりにはまだまだ課題が残されているようだ。
堀内浩二『リストのチカラ [仕事と人生のレベルを劇的に上げる技術] 』は、“1日一冊”などと読み捨てられることを自ら求めるように次々と誕生するビジネス・ノウハウ書と異なったたたずまいを見せる書物だ。
乱暴に要約すると、本書はふたつの機能で満たされている。著者が渉猟した古今東西に渡る書物のエッセンス。これらをまさに“リスト”(箇条書きと受け取ればよい)として提供する部分がひとつ。もうひとつは、読者自らが良きリストを創り出し、活用するためのノウハウ部分である。
まず読者は、著者がいざなうままに、50にも及ぶ人生に相わたる味わい深い格言、プレゼンテーションや営業トーク、面談などビジネススキルのツボを押えたリストに当たっていくことで、1冊の書物にありながら多面的な先人のチエに触れることができる。
たとえば、
一、至誠に悖(もと)るなかりしか(誠意に欠けたことはなかったか)
一、言行に恥づるなかりしか(恥ずかしい言動はなかったか)
一、気力に缺くるなかりしか(意気込みは十分だったか)
一、努力に憾(うら)みなかりしか(最善を尽くしたか)
一、不精(ぶしょう)に亘(わた)るなかりしか(手を抜かなかったか)
※ 著者による編集を加えたもの
と旧海軍兵学校「五省」があるかと思えば、
1.いつまでに決断しなければならないかを知る
2.すぐに検討を始める
3.可能な限り時間をかけて熟慮する……
と、「9.11」で名声を得た当時NY市長ルドルフ・ジュリアー二の「リーダーシップ」が紹介されるというように縦横無尽。そもそも翻訳もないような好リストも、著者の絶妙な翻訳と解説で存在感を放つ。
これらだけでも、本書がトップクラスの読書家であり、同時に当代まれな啓蒙的書評家による仕事であることが理解できるというものだ。
ところで、本書の独自さが際立つのは、これら著者の博覧強記による部分のみではない。
そうではなく、これら縦横に渉猟した書物のエッセンスをリストという形式を通じ、読者と“共有”していくことを大胆に提案しているところにある。
書物には、その著者に帰属する知識と指向、そしてビジョンが含まれているものだ。これらエッセンスを抽出しリスト化していく行為は、同時に、それらエッセンスを書物の著者への帰属性から解き放つことでもあり、読者自らがリストを駆使し思考や思索を深めていく“参加”の機会に他ならない。
著者は、以下のように読者に対し、リストから学び、リストをわがものとして、最後には創造することを提案する。
リストの「守破離」
- [守]よいリストから忠実に学び、自分のものにする
- [破]よいリストの精神を踏まえた上で、自分なりにアレンジする
- [離]リストを自作する(しかし、よいリストから学んだことはその中に活かされている
エッセンスは、「リスト」に昇華を遂げるなか、だれもが広く受容でき、さらにチエを加えたり差し引いたりという永い推敲の道のりに歩み出ていくことになる。
本書が、ノウハウ書として読み捨てるに惜しく、古今東西の名言集として遇するにはより実践的であるという独特のたたずまいを見せるのは、著者の視線が、そのようなチエの共有と活用へと注がれているからだろう。
※ 本稿は、 ITmedia エグゼクティブ「みんなのミニ書評」コミュニティーに投稿したものに加筆し、再投稿したもの。
BLOG15.NETを読んでいて、「へぇッ」と驚かされることがあった。
「ブログはこれからおもしろくなるのかな?」というエントリがそれだ。
現在大学2年生だというブロガ氏はこう書いている。
トラフィックを集めるコツはひたすら内容のあるエントリを書き続けることだ、という論を有名ブロガーのエントリから読むことがある。私はこういうエントリ を見るとき少しイラッときてしまう。確かにWebの発展の為にはそうするのが一番だろうし、またエントリの内容を濃くすることがトラフィックを集める王道 であるだろうとは思う。しかし、さも自分がブログの内容だけで多くのアクセスを稼いでいるかのように錯覚している有名ブロガーには、少し腹が立つというの が本音だ。
あなたはブログを始める前から有名だったから、(私達無名ブロガーに比べて)楽にアクセスを稼ぐことができたのだろうと言いたくなる。別に誰だとは言わな いが。多分だけど、私だけではなく、有名ブロガーに対するルサンチマンのようなものを鬱積している無名ブロガーは、多いのではないかと思う。
ブロガ諸氏の中には「ブロガ間に格差が広がっており、“無名”ブロガは、いかに頑張っても影響力を持てない...」という気分(BLOG15.NETブロガ氏のコトバでは「ルサンチマン」)が鬱積しているということ。
数年前だったらその「既にある程度のトラフィックを稼ぐ」というのはそれほど敷居の高いことではなかったのかもしれない。しかし、最近始めたばかりの大多 数の無名ブロガーは、最初の段階でアクセスが無いから、その好循環に入っていきにくいのだ。そこらへんの事情を無視し、「いい内容を書けば、その内アクセ スは増える」と、のたまうのは「いい物を作れば宣伝しなくても売れる」というのと同じぐらい非現実的である。
少し脱線してしまったが、要するにブログでは、純粋な内容で評価されるわけではなく、知名度などによって大きく評価が変わってしまうことが、ブログの発展についてはマイナスの影響も大きいのではないか、ということが言いたいのだ。だからと言って具体的にどうすればいいのか私にはわからないので、このエントリは生産的なものではないかもしれないが。 (太字は、ブロガ氏自身のもの)
自分メディアであるブログで情報発信を行うことと、そこから得られる反響の間に、ある種表現しにくい焦燥感が生じているという図式だ。そこからブログ界における、ある種の世代間競合感覚へと折り返していく。
- ブログは自分自身のメディアである。自身が良きものを書けばよいということは当然
- ブログを書き続けるにはその“読者”の拡大による面が大きい
- しかるに、読者を拡大する手だてがない。著名ブロガはそれ自体で注目される構造を有する
- 無名ブログに注目が集まる仕組みがないと、ブログの発展も阻害するのではないか
と、整理してみよう。
考えれば明瞭なはずだが、ブログを書くということは、見返り(収入)のない行為である。それを覚悟した、ごく私的な挑戦ではなかったか。
しかし、ブロガ氏が書いている構図は、ブログにおいても固定化された格差。あるいは格差が広がっていくという焦燥感だ。この感覚にはたじろがされる。
この先には「ブログ成功者」「ブログ失敗者」といった“格付け”がすぐにでもやってくることだろう。
しかも、格付けはブロガ諸氏とは異なる商業界の原理からやってくるのではない。ブロガ諸氏の内側から立ち上がってくる自己評価においてなのだ。
ブログであろうとなんであろうと、この時代にあっては多様性が多様性として認められることはなく、結局のところ、同一性の構図にあって、「うまくやったヤツ」「いけてないヤツ」という比較や格差という階層感覚に取り込まれてしまうということなのか。
ブログ(というか、自分メディアの運営)が、その直接性においてこの社会に風穴をうがつかもしれないという期待は、私のような年寄り世代の妄想にすぎないというのか。この時代の難しさを感じさせられたエントリとして読んだ。





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